大阪生まれ兵庫出身!野球人屋鋪要さんが語るふるさと瀬戸内
瀬戸内地方に関わりのある方に瀬戸内の魅力を語っていただく連載企画「ふるさとラバーズ」。
第五回目のゲストは、大阪府生まれ兵庫県川西市育ちの元プロ野球選手、屋鋪要(やしきかなめ)さん。
現在は鉄道文化人・鉄道写真家、少年野球・大学野球のコーチ、野球解説者である屋鋪さんに、野球人生と鉄道についてお話を伺いました。
━━大阪府生まれ兵庫県川西市育ちの屋鋪さん。当時の思い出についてお聞かせください
僕が過ごした昭和40年代初頭の大阪は、都会っぽくなくて公園がたくさんあったなあ。7歳の時に兵庫県に引っ越しました。
小6のとき、元千葉ロッテ監督・山本 功児さんが三田学園にいて、憧れて中学受験したんだよね。
三田学園は中高一貫教育の進学校で高校は野球が強かったんです。絶対受からへんといわれたけど、がむしゃらに家庭教師とマンツーマンで勉強して合格したんだよね。
三田学園に入学して寮生活だったから、学生時代はほぼ三田にいましたね。
三田学園は、当時は男子校でした。卒業生には渡哲也さん渡瀬恒彦さんがいます。
プロ野球選手も多く輩出してますね。進学校なので野球だけでなく、勉強もほどほどにしてました。僕は中1の新学期で数学とかはわからなくなったけど、体育だけは5だった(笑)
寮生活だったし、野球をやっていたので遊びにはいけなかったな。
野球、野球、野球、たまに勉強という生活でした。
高校の卒業式には出ませんでした。スプリングキャンプへの参加が決まっていて練習にその参加してたんですよね。地元に帰ると練習を2日休まなくてはいけないのが嫌で出なかったんです。
三田市の風景
━━関西での食べ物のエピソードを教えてください。
母が料理が得意で、特に蒸した鶏肉料理が好きでしたね。
兵庫県川西はいちじくが有名なんですよ。近所のスーパーで売っていて、小さいころから食べていましたね。今でもいちじくは一番好きな果物ですね。
他には、三田牛が有名で、三田屋本店という大きなステーキハウスが学校の裏にあって、そこにいった思い出があります。関西の有名人が来るようなお店でしたね。
まつたけも有名ですね。
学生時代、地元に山を持っている友達がいて、彼がよく自分の山でとれたまつたけのまつたけご飯を弁当に持ってきていて、彼は食べ飽きているから200円とかでその弁当を売ってもらってました。
それを2時間目の終わりとかに食べてました(笑)
━━プロ野球選手時代で、印象深いエピソードはございますか?
父親が亡くなった時、翌日は名古屋での試合だったんです。なので、川西(兵庫県)の実家でお通夜にだけ参加をして、翌日は試合に出たんです。そのため、お葬式には参加ができませんでしたね。
だけど父親が「試合に行ってこい!」って言ってるように思えて試合に臨んだんだよね。試合を親父に見せたい、と強く思ったね。
━━瀬戸内地方にたくさん球場があると思うのですが、行った場所だったり球場での楽しみなどはあったりしますか?
野球選手って時間があったら、移動中などに、読書や個人練習をしたりしています。
ナイターで夜が遅くなるので、昼まで休息していることが多いので、観光する余裕はあまりないかな。僕はしなかったな。
球場のまわりでは、広島市内のお好み焼き、中華料理が印象的ですね。
東海飯店という中華料理屋の料理は絶品でした!
今は違うところで営業されているみたいですね。
球場に関することでいえば、瀬戸内地方ではない場所なのですが、静岡の焼津球場。18歳の時に、一軍で草薙球場に呼ばれていたんですが、怪我をして二軍になった時に、焼津球場に行っていたんです。そんな苦い思い出があるからね。
大阪にあった、藤井寺球場は、ヤブ蚊が凄かった思い出がある!(笑)
日生球場は、外国人選手が来ると、こんな汚いロッカーなのか!と驚かれたのを覚えてるね。
2008年だったかな、海外キャンプでサンフランシスコ・ジャイアンツの球場を見学した時に、ロッカーが広々してて綺麗で驚いたね。
━━コーチ時代のエピソードをお聞かせください。
ジャイアンツのコーチをやってた時のことですが、松井秀喜はとにかく大物でした。凄かった。
そして、松井は本当にいい子でね。ピッチャーが二塁に牽制球を投げる時は、通常センターは前にダッシュしていくべきところを、松井がセンターにいたままだったので、「やるべきことはちゃんとやれ」と言ったら、「はい!」と素直に返事をして、次から実践してくるんですよ。
松井はすごい素直でしたね。
━━続きまして鉄道のお話を聞かせてください。
━━子供のころから大好きだったということで鉄道関連の思い出をお聞かせください。
友達に蒸気機関車の写真集をみせてもらって、蒸気機関車を撮影することが趣味になりました。
父親には鉄道を見に連れて行ってもらいました。
関西本線の撮影や、夏に北海道の撮影旅行に行きましたね。自分をつれていくうちに、父親も鉄道が好きになってしまったみたいです。
━━現在は、蒸気機関車についての活動をたくさんされてますね。
プロ野球選手時代は、大好きな鉄道を一度も見に行くことができなかったのですが、現役を引退して2006年にコーチを退いた後、活動を再開しました。
保存されているSLで、特に山口県にあるSL(C57)は7回くらい見に行ってます。
日本に保存されている蒸気機関車は600両あるんですが、全国の津々浦々のSLを全部撮影したのは、僕だけなんですよ。
屋鋪要「保存蒸機完全制覇」
━━瀬戸内のおすすめ撮影スポットを教えてください。
私が好きな場所は、山口にある長門峡ですね。
そこを過ぎたところに鉄橋があって、そこの渡川のポイントが好きですね。
山口から北に向かって、島根の方に向かって走っているのでほぼ山と川ですね。
━━兵庫、大阪のよいところを教えてください。
丹波地方にいくと、まつたけや栗などもおいしいですし、三田牛も有名ですね。
大阪はくいだおれの街なので、何を食べてもおいしいですよ
大阪は、ソース文化ですね。やっぱりお好み焼きは好きですね。
広島、大阪、兵庫とお好み焼きは各地いろいろと違いますけど、どこも自分のところが一番と思っていまよね。はっきりいってどこでもおいしいですよ。
━━現役時代に過ごした横浜での、思い出の食べ物はありますか?
横浜でもお好み焼きです!
今でも月に2-3回は、お好み焼き屋にいきますね。「さんかく」というお店が僕のホームベースです。一緒に行ってみませんか??
━━お誘いに飛びつき、横浜市にある屋鋪さんの行きつけのお好み焼き屋「さんかく」にてインタビューの続きををさせていただくことになりました。
━━お招きいただきありがとうございます!
本牧近辺に1991年くらいから住んでいて、数年前からここに食べに来るようになったんですよ。お好み焼きは、やっぱり大好きでね。
この間も、知り合いとやったお好み焼きパーティで20枚焼いたんだよね。
牛すじも仕込み5時間かけて自分で作ったりするよ。
ここでいつも食べるのは、豚キムチ、砂肝ウィンナー。あと、メニューにはないんですがモダン焼きが好きです。焼きそばを頼んでオリジナルで自分で作っています。
お好み焼き屋「さんかく」のメニュー
お店のマスターは本牧の生き字びき(笑)
お母さんとは昨日も近所のスーパーでばったり会ったよね。娘さん息子さんとも仲良しだよ。
お母さんが、通販で買った淡路の玉ねぎをもらったり。家族みたいなつきあいしてもらってます。
お好み焼き屋「さんかく」のおかみさん・マスター・屋鋪さん
━━お店に飾ってあるのは、屋鋪さんのゴールデングラブでは?
そうそう。差し上げたんですよ。ゴールデングラブ賞を5回もらったけど、5個全部人にあげたなー。
このお店の常連の方がケースを作ってくれて飾ってくれててね。嬉しいですね。
お好み焼き屋「さんかく」に飾られている屋鋪さんのゴールデングラブ
━━ここ横浜での暮らしもとても楽しそうですね。
野球選手を辞めて仕事がなくなって、どうやって生きてこうかなーと、思ったこともあるよね。週4本ネットニュースを配信したりしてましたね。元野球選手のネット配信ってはじめてだったんじゃないかな。今も書くのは好きですね。
レールマガジンでも記事を書いてます。しかもガラケー使って(笑)
━━屋鋪さんありがとうございました。
ふるらぶ せとうちでは、ふるさと納税をしていただいた方に「ふるらぶポイント」を贈呈しています。
今回、この「ふるらぶポイント」の交換品として、屋鋪さんの著書「遥かなる鐵路 いま逢いに行ける蒸気機関車」にサインをいただいた貴重な1冊をご用意いたしました。
1点限定の先着商品となりますので、ご希望の方は今すぐお申し込みを!
遥かなる鐵路 いま逢いに行ける蒸気機関車(屋鋪要さん直筆サイン入り)
必要交換ポイント:2000ポイント
※ご応募には会員登録とログインが必要となります。
屋鋪要さんプロフィール
大阪府生まれ兵庫県川西市育ち。
1977年秋にドラフト指名、1978年大洋ホエールズに入団。
1986年から1988年まで3年連続盗塁王を獲得。
ゴールデングラブ賞は5回。
横浜ベイスターズから読売ジャイアンツへ移籍。1995年現役引退。
現役引退後、鉄道文化人・鉄道写真家、野球解説・大学野球コーチを経て、野球スクールの指導者、ソレキア株式会社の監督をつとめる。